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コロニー

3/7から出張で台湾に来ている。

今日は午後遅くからの任務の為、午前は高雄の街を歩いてみた。
去年に同じような任務で訪れた時と比較すると、206地震の影響は、見られるどころか、日本を訪れ爆買いしていく大陸の観光客らしき人たちが多く見受けられるくらい、大きな暗い影響があるようには見えない。
平日のこの日中から観光客をたくさんみる。

元々の観光客数がどれほどのものなのかを知らないので何とも比較できないが、地震による観光を控えるムードというものは、この人の数を感じると、それほど感じない。

しかし、昨日まで滞在した台北や去年のここの様子と比較すると、日本人の数もそれほど感じない。ぱっとみでわかるのかと聞かれると怪しいが、感覚的にそんな気がする。

地震による大きな被害があったのは、手抜き工事があったビルや耐震強度が低い古い建物だけだったようで、台南のその辺り一帯が壊滅というわけではないらしい。

ライフラインも今はもう大きな問題はなくなっているらしく、恒久的な復旧の作業が始まっているということのようだ。
だとしても、倒れた建物のほとんどは住宅だそうで、住む家が失われた人が多くいることに変わりはないはずだ。

それらの人たちが今どうやって暮らしているのかは、今この時点では知る術がない。現地での報道もそれほど多くされていない。早くも風化の雰囲気を感じてしまう。

そんな中で驚かされるのは、一緒に仕事をしてくれている現地の商社さんの言葉だった。
自国の災害よりも日本の、友好国の大災害のあった日が近いこと、それを憂い一緒に悼んでくれていることだった。

他外国とは少し違う面はあったにしても、植民地として統治された時代もあった日本に対して、現在こうして共にいて同じ仕事をしている者同士が、今起こっている互いの国の苦難に対して目を背けることなく慈しむことができるのは、これまでの、僕らが知らない過去の時代の中においても、互いを思いやって様々に困難な道のりを共に歩んだ二国の友があったからだろう、そういう、名も残っていない人たちの行いの積み重ねによって出来上がった友好なのかもしれない、そんな風に僕は今、感じている。

昔、台湾の人と関わったかつての日本人の誰かはきっと、今の僕と同じようにあたたかい想いをもらって、この国のあたたかい人たちと一緒に何かを成してきたんだろうか。そうだったら、いいな。

東日本大震災もそう、忘れないようにする努力は、僕には必要ない。
忘れられるはずがない。

甚大な数の人がそこで見つけたもの、失ったもの、それを差し引きしたら、数の上ではマイナスになってしまうのが生きるということなのかもしれない。

しかし、数の差し引きだけで人の心は決まらない。

失くしたものと生まれたものは、その数よりも、ひとつひとつの大きさ濃さ強さ様々な固有の要素があって、それをふまえて勘定したら、そう、そうだ、そうなんだ。。

目を閉じて手を当てて想い直すと感じられる。

逃げられない天災が僕らを閉塞する星にいても、僕らは、手をつないで歩めば、心の中にどんなに広く大きなものも、創造していける。

無限は外にはない。

いや、外も内もない。

僕らはひとつだ。
有難う。

生まれてきてよかった。

ー 高雄 寒軒國際大飯店にて

台湾に関する補足参考
http://honyakusitem.blogspot.tw/2013/10/blog-post_10.html?m=1