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0087

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色々な道具を持っていて使っている。
僕の佛彫りは生業ではなくつまりプロではないから、色々使っていると云っても一流のものなどは何も持っていない。

時々、プロの方々が使っているものに憧れるし一般では使わないような便利で高価な道具を使っているのを知ると羨む。

先立つものもないし業余なのであまりふんだんに費用を注げない。だから持っているものも必然的に手に入る範囲での価格帯や入手難度になるしその中で納得できるものを手に入れて使うことになる。

だからといってそれが彫るものの結果の質に直結するとは思っていない。
結果が伴わないのは自分の腕が悪いからで、道具のせいではない。
確かに道具の良し悪しはあるし高価なものはただ高価なだけではなくその分の価値ある働きをすることは事実。でも道具の能力差は努力修練と作業時間を乗じて補うことが出来る可能性をある程度までなら持っていると僕は思っている。

僕は道具に名をつける。
道具は大切にすれば付喪神が憑くと信じている。大切に使えば、プロが鼻で笑うような安っい陳腐な道具でもちゃんと応えてくれると信じている。

だから名前を呼ぶ。
縁があって僕のもとに来て僕の目的に手を貸してくれるのだから、それは僕が選んで家に連れてきた時点で僕のともだち。
使っていて機能しないのは呼び方が足りないからであり使う僕の想いと鍛錬が足りないから。
だから、応えてくれるまで何度も大切に名前を呼び続け自分の腕の方を磨く。
道具を磨くのと同時にそれは自分の腕とひいては自分の心さえも磨いていることになるので、道具と一緒に自分も切磋琢磨していることになるんだと思っている。

悲しいことに道具にも寿命はあるから、ずっと一緒に居られるわけじゃない。人と同じ。
だから大切に想うし大切に使う。
人だって、一度でも多く名を呼んでもらえた人生の方がそうでないより幸せな生涯だったと思えると思う。
道具もそれは同じだと思うから。

形あるものを作っているけど、本当は、物理的には存在してない幻みたいなものを作っていて、実はそれが一番大切なもので、触れられないけど確かにそこに在って、それによって僕らの世界はつくられてるような気がする。

美しい花が物理的に存在しないのと同じ。
花は在るだけ。
それを美しい花だとするのはそう感じた心で、美しい花はその心にしか存在しない。

だから、ともだちはいつもここにいる。ここ。ここだよここ。

大切に呼ぶよ。