0052

何事もな
辛抱って言葉を
忘れちゃいかん

な、自分よ

0051

よく、顔のあるものを作ると、作った人に似ると云われる

腕がよければそういうこともあるのだと自分でも思うが、自分の彫るものはそういう話とは実は違う

優しい顔ですね
穏やかな顔ですね
きっとあなたもこんな顔なんでしょうね

違うんだ

優しい顔を、してるんじゃない

優しい人に、なりたいんだ
こんな風に、なりたいんだ
そう願ってるから、こんな顔に、彫ってるんだ

違うんだ
そんな人じゃあ、ないんだよ
まだ、ね

0050

鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を貸す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬといいながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ。

~坂村真民~

 

磨くのだ。
磨くのだ。

0049

窓のない電車に乗ると、その速度を体感するのは難しい。

「加速する世界」が観えているなら、まだ大丈夫。

走らされるな。

0048

どのような世にあっても
己を幸せにする何かを辺り一面につくるのではなく
どのような世にあっても
己の幸せを感じられる心を己の中につくりたい

あらゆるものにその輝きをみつけられる
そんな心を

0047

書の極意は、心を万物にそそぎ、心にまかせ万物をかたどること。
正しく美しいだけでは、立派な書にはならない。
心を込め、四季の景物をかたどり、字の形に万物をかたどる。
字とは、もともと人の心が万物に感動して作り出されたものなのだ。

〜性霊集/空海〜

0046

まだネットもコンピュータも一般的には普及していなかった学生時代、不立文字という言葉を何処かで耳にし、それが耳から離れなかった。

ふりゅうもんじ。

この言葉が内包するその意味も、今ではそのさわりくらいならネットで調べて手がかりくらいは掴める。
しかし、当時はそれすらままならず、音で聴いたことでその漢字もわからないまま、齢丗をだいぶ超えた頃にやっと不立文字というその文字列に出逢うまで、その音は頭の中にずっと眠っていた。

ろくな道具もなく、中学生の時に両親に買ってもらった彫刻刀数本と小刀と、祖父の形見の鑿数本だけで佛を彫っていた頃からやっと、この歳くらいの頃から道具が買える余裕が出、同時に仏教のことを耳に入れても理解と反対側の方向へ段々と行かなくなってきた。

不立文字という言葉の意味は未だよくわかっていない。
国語辞典で調べた「意味」ということではない。言葉が表すものという意味では、この文字列が表していること自体はわかっている。
が、これが不立文字というものの意味である、という明確な答えを形をもって目の前に出せるか、と云われれば、それはまだ無理だとしか云いようがない。

伝えようとすること、教えようとしていることは、文字や言葉では表しきれない。
それは、実際にその峰へと己の足で向かい、その眼で眺めを観なくては何もわからない。
そういうことなのだろうな、と、今はまだおぼろげに感じているだけだ。

何故なら、この文字列の意味することでさえ、わたしはまだ、体現できていないからだ。

不立文字
ふりゅうもんじ

わたしはまだ、この文字を、読めているというだけなのだ。

その峰への入り口らしきものがみえただけ、歩き始めたばかりなのだ。

0045

0788「増改築のために思い出深い楠を伐った、その木で何か彫ってもらえないか」という、これまで大変お世話になっている方からの嬉しいご依頼に応えるべく彫った、地蔵菩薩立像。

お像の大きさにはあえて刻まず、戴いた枝すべてをそのままに、木の中におわすものをお迎えする気持ちを大切にしながら彫りました。

衣や袖などはおもむくままに彫りましたので、おかしなところがあるかもしれません。
節や芯の位置もなかなかに手ごわく、それがそこに在るように在るだけ、となってくれるよう、ゆっくりと木の中を眺めながら彫っていきましたので、既成の姿の佛を彫るよりもかなり時間を要しました。

楠は目がまっすぐでない分、正目になったり逆目になったりでなかなか気難しい木ですが、木と話ができているような気がしますので、好きな木です。

久しぶりに一から十まで木とやりとりしながら彫れた、嬉しい一体でした。
いや、もう少し仕上げがありますが。

0044

俺殿
おれは、あんたには祈らぬよ

人のことは、自分じゃどうにもできないことが多いから
祈るしかできないことが多いから
心から深く祈るよ

だがね
己のことは
己がやればすむことだ
己がやらねばならないことを
神に仏に祈ってどうする

自分じゃどうにもならないからと誰かのために祈ったことが
己のためにと祈ったことでそれを退けてもらっちゃったら
困るのよ

神仏もそんなに暇じゃない

俺殿よ、
己でできることならば
祈る前にやればいい

だからあんたにゃ、祈らぬよ
祈ってなんか、やるものか

祈ってなんかやらなくたって
あんたはできるとわかってる

だってあんたは、おれ自身

0043

この星にはたくさんの生き物が生まれ生き死んでいく。
ほとんどの生き物がそれぞれに相関を持って暮らしている。

人だけが違う。

人は、知恵を持ちながら、臆病なんだろうか。
己の身を守るためなら、豊かな暮らしのためなら、人でない他者を皆殺しにする。
生き物として必要な殺生、摂食行動とはまったく別な目的で、他者を皆殺しにする。

立場を逆転させたとき、脳内で私は恐怖を禁じ得ない。

それでもその他者は、人間に報復することなくそれを受け入れる。
選択の餘地もないことなど百も承知で、仕返しなどはしてこない。
その本音を聴くことが、できない。

生きているのは、生きていていいのは、一体どっちだ。

自分は生きていていいのか、悩むときがある。
それでも、生きたい。
生きてほしい。

愚かなことだ。