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0046

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まだネットもコンピュータも一般的には普及していなかった学生時代、不立文字という言葉を何処かで耳にし、それが耳から離れなかった。

ふりゅうもんじ。

この言葉が内包するその意味も、今ではそのさわりくらいならネットで調べて手がかりくらいは掴める。
しかし、当時はそれすらままならず、音で聴いたことでその漢字もわからないまま、齢丗をだいぶ超えた頃にやっと不立文字というその文字列に出逢うまで、その音は頭の中にずっと眠っていた。

ろくな道具もなく、中学生の時に両親に買ってもらった彫刻刀数本と小刀と、祖父の形見の鑿数本だけで佛を彫っていた頃からやっと、この歳くらいの頃から道具が買える余裕が出、同時に仏教のことを耳に入れても理解と反対側の方向へ段々と行かなくなってきた。

不立文字という言葉の意味は未だよくわかっていない。
国語辞典で調べた「意味」ということではない。言葉が表すものという意味では、この文字列が表していること自体はわかっている。
が、これが不立文字というものの意味である、という明確な答えを形をもって目の前に出せるか、と云われれば、それはまだ無理だとしか云いようがない。

伝えようとすること、教えようとしていることは、文字や言葉では表しきれない。
それは、実際にその峰へと己の足で向かい、その眼で眺めを観なくては何もわからない。
そういうことなのだろうな、と、今はまだおぼろげに感じているだけだ。

何故なら、この文字列の意味することでさえ、わたしはまだ、体現できていないからだ。

不立文字
ふりゅうもんじ

わたしはまだ、この文字を、読めているというだけなのだ。

その峰への入り口らしきものがみえただけ、歩き始めたばかりなのだ。